2024年3月27日

「マックのポテト食いたくね?」と同じノリで「死にたくね?」と思っている。「お腹すいたな~」と同じくらいの頻度で思っている。苦しみの根本を断とうとするとどうしても死ぬことが必要になってくる。私が私である以上、「死にたい」という感情から逃れられることがない。

 
親元を離れたら死にたくなくなるかと思っていた時期があった。親元を離れた今、死にたいと思う頻度は年を重ねるごとに増えている。周りから見たら深刻ではない状態かもしれないが、それでも死にたい。今すぐ死にたい。古典落語の演目「死神」のように、ろうそくの火が消えたらそれで死ねたらなんて楽だろうと思う。

2024年3月25日

このブログを久しぶりに開き、そういえば同人活動を畳んだんだっけと思い出して笑ってしまった。1年も経っていないのに、自分のことを忘れてしまう。記憶をたどってみると、トワツガイの共謀アンソロが発行されると知り、「読みて~~~!なら私も参加させていただこうかな!」と思ったあたりからおかしくなった気がする。その後ポルプリにハマり、超巨大なポルプリ合同にも寄稿させていただき、その流れでついつい自分でサークル参加してしまった。「ついつい」って何だ。

 
体調や生活の都合上私はあまり外部と交流を持つタイプのオタクではなく、即売会に出てもぽつんと座っているだけだが、やっぱり即売会には「また出るか」と思ってしまう魔力があると思う。次は6月末に開催されるらしい。また出るか。

2024年1月4日

盆や正月やゴールデンウイークのたびに届いていた「実家に帰ってこないの?」というLINEが、とうとう送られてこなくなった。実家を出て4年が経とうとしている。未だに母から連絡があると、ストレスでその日じゅう寝込んでしまう。実家にいた時は24時間365日その環境下で暮らしていたと思うと、あの頃のわたしちゃんは本当に偉かったなと頭をなでたくなる。今は本当に自由で、大人って素晴らしいと思う。

2023年12月7日

最近とうもろこし茶にハマっている。飲み会の場で下戸の私が選択した「とうもろこし茶 ホット」が存外おいしかったのだ。口をつける前から漂う香ばしさ、胃に落ちたときの柔らかいあたたかみ。あの味が恋しくて、近所のスーパーで買ってみたものの、どうもあの味には程遠い。あの「とうもろこし茶 ホット」を飲むためだけに、飲み屋に行ってもいいとさえ思う。朝5時にお茶パックを煮出して鍋からよそい、茶ばんだマグカップでぼんやりと飲んでいると、自分はいったい何をしているんだろうなという気分になる。朝は5時かその前に起きて、まだ日が昇らないうちに家を出て、暗くなってからぎゅうぎゅう詰めの電車に乗って帰り、22時になる前には床につく。それをずっと繰り返している。繰り返すって虚しい。

 

自分が「楽しい」と思えることをする気力がなくなってきた。鬱で休職していたあいだにもできていたグルミクさえ、触れなくなってしまった。今できることといえば、ぼんやりとツイッターを見たり、ぼんやりとYouTube Shortを見たりすることだけだ。今はハマっているとうもろこし茶ではなく、震えながら冷たいポカリを飲んでいる。腹具合が悪いなと思っていたが、いよいよ何を食べてもひどく下してしまうようになった。明日は胃カメラを撮る。

2023年8月24日

お盆明けからどうにも調子が悪く、とにかく仕事がしたくない。いつだって仕事はしたくないが、いつものように「まあ仕方ないからやってやるよ」とすら思えない。腰が全く上がらない。仕事に手をつけることがひどく不快に感じる。

そうやって嫌々仕事に向き合っていたら、ぶっ倒れるんじゃないかと思うような強烈なめまいと頭痛が午前中にだけ現れるようになった。異様なほどの寒気もする。でも、11時くらいになるとけろっと元通りになっている。鬱の典型的な初期症状であり、私もつい2年ほど前に全く同じようなことが起こった。あーあと思っている。

 

以前「整形したい」と思ったときにずっと見ていたYouTuberが自殺したと知った。彼女は躁鬱病であることを公表していた。きっと希死念慮に何度もかられたことがあり、それを思いとどまったこともあり、それに耐えきれなかったのが今回なんだと思う。

私は似たような病状を抱える人間として、死にきれることが素直にうらやましかった。自分が希死念慮にかられるときは、いつも自殺に失敗した時のことが頭をよぎる。脊椎を損傷し、人の手を借りなければ生きていけない状況に陥った人を何人も知っている。これ以上人の迷惑にならないようにと思って死を選んだのに、結果としてさらに人に迷惑をかけて生きていくことだけは絶対に嫌だ。だからいつも自殺を知った時、せめて死にきれてよかったなと思う。死にたくなるような人生でも、最期にきちんと死ぬことができることは、せめてもの祝福だと思う。

2023年7月28日

新しい会社に転職して半年が過ぎ、ついに繁忙期というものがやってきた。ここ一か月の忙しさで過敏性腸症候群が再発し、愛してやまないラーメンを禁止されてしまい本当にしんどいが、体調は何とか持ってくれて無事繁忙期を終えることができた。

 

繫忙期を終えると何が来るか。燃え尽き症候群である。

 

なぜか私は社会人になってから必ずと言っていいほど燃え尽き症候群を起こすようになった。宅建の資格試験を終えたときは、そのあと一か月は本当に何もできず、休日はひたすら寝込んでいた。FPの2級も、マンション管理士管理業務主任者も、試験が終わるといつも寝込んでいた。年度末があけて仕事がひと段落すると(実際はひと段落なんてしてなくて、「激務」から「忙しい」に変わっただけだが)、寝込むどころか休職してしまった。転職したらどうなるかなと思ったら案の定燃え尽き、今すごく体調が悪い。

 

自律神経がぐちゃぐちゃに乱れてしまったうえに普通に夏バテをしている。頭痛とめまいと腹痛で今すぐ家に帰りたい。でもここで休んだらずっと戻って来れないような気がしてちょっと怖い。

 

出張中の新幹線の中で「殺し屋イチ」を読んでいた。殺し屋であるイチは、学生時代にいじめられていた相手に復讐するため空手の腕を磨き、裏社会の人間に洗脳されながら殺し屋をやっている。イチは人を殺す時、過去のトラウマや葛藤でいっぱいいっぱいになり、「ウエ~~~~ン」と泣きながら殺す。

私も心の中で「ウエ~~~~ン」と泣きながら仕事をしている。仕事もいっぱいいっぱいだし、生活もいっぱいいっぱいだし、自分のケツを自分で拭くことすらままならない。正直もう心の中からまろびでそうだ。「ウエ~~~~ン」が。

2023年6月23日

推しを推し始めたのが2020年10月のアニメ1期開始時からなので、もうそろそろ3年間推しを推していることになる。長いオタク人生で生身の人間を推したのは推しが初めてだった。推しを推し始めた時は、まさかこんなに長く推し続けることになるとは思わなかった。恋人どうしだったら、3年も付き合っていたらずいぶん長い方だと思う。

 

推しを推し始めた当初、私は「推しに認知されたくない」と思い、なるべくひそひそと推していた。推しを名前で呼べず、“推し”と呼んでいるのもその名残である。月1の定期配信に毎回おたよりを送っていたが、そのペンネームを「浪川」でないものにした。こんな汚いツイートしかしていない人間が、あんなにかわいい推しの目に触れるのが申し訳ないと思っていた。

 

今でもその気持ちはある。けれど、ストリップにハマってから、少しずつその考えが変わってきた。
ストリップでは、踊り子さんの演目のあとにポラタイムがあり、だいたい500円支払うことで、今踊っていた踊り子さんの写真を撮ることができる。ポラタイム中に踊り子さんと軽くお話ができるうえ、(場合によるが)撮影したポラの裏に「〇〇さんへ」と自分の名前つきでメッセージとサインを書いてもらうことができる。ポラの売り上げは劇場に計上されるため、踊り子さんの人気はポラ列の長さでざっくりわかるし、劇場側としてはポラが売れる踊り子さんをまた呼びたくなる。
つまり、自分の撮ったポラ1枚が、巡り巡って踊り子さんの次の仕事に繋がっていく、ということに気づいた。それ以来、また観たいと思った踊り子さんのポラ列にはなるべく並ぶようにした。ポラは、「この踊り子さんが好きだ/またこの劇場で観たい」という意思表示のチケットのようなものかもしれない。

 

それから、なるべく推しのツイートをふぁぼりつするようにした。以前なら絶対にやらなかったハッシュタグツイートもするようにしたし、プロフィールに推しの名前を記載するようにした。ファンレターをちょこちょこ送るようにもしたし、今まで「オタクの自己顕示欲乙w」とさえ思っていたフラスタにまで手を出そうとしている。
私個人を認知してもらいたいとは今も思わないが、事務所の偉い人に「推しを推しているうちのひとり」だとカウントしてもらいたい、と思うようになった。ここに推しを推している人がひとりいるよ、と知ってもらえれば、もしかしたら巡り巡って推しの次の仕事に繋がるかもしれない。
月1配信も毎週のラジオも無くなってしまい、推しの定期配信が全て無くなってしまった今、それでも私は今後も応援し続けられることを祈っている。