2023年4月5日

新卒で入った会社の上司の話をする。彼女の本名で運営しているTwitterアカウントで「浪川はわがままだ」と書かれていたことがあった。上長たちの承認を得なければ納期に間に合わないという焦りから、メッセージをなかなか見ない上長に直接話しかけ印鑑を貰いに行くことが多々あったのだが、それをわがままだと捉えられたようだ。「上長の時間を奪っているという自覚があるのだろうか」と書かれていて、当時の私はひどく落ち込んだが、今の傲慢な私は「部下の書類にハンコを押すのが上長の仕事だろ」と思っている。けれど転職先で働く今でも、あの頃の上司の言葉が胸を刺すことがある。

 

今の職場は前の職場の何百分の一ほどの人数しかいない。私の所属部署に先輩はいるが、部長や課長の職についている人はいない。つまり私の直属の上司はいきなり社長になってしまうということだ。社長は上司といえどあくまで社の長なので、前職のように上司から仕事の細かい指示出しをされることがなく、何をやるべきか先を見据え、自主的に動かなければならない。前任のマーケターは私が入社する前にすでに退職していたそうで、いまいち引継ぎ資料のないまま、手探りで業務を進めている。

 

業務を進めるうえで上司の指示や承認を得る必要があるのはどの仕事でも同じで、じょうずなコミュニケーションが苦手な私はいつも、自分の仕事に上司を巻き込むようなかたちでしかこの行為を遂行できない。しかも、今私の仕事に巻き込まれているのは社長だ。会社の構造的に仕方がないとはいえ、このやり方でいいのか正直わからずに、心が痛いと思いながら仕事をしている。

 

そういう時いつも、あの言葉が胸をよぎる。「浪川はわがまま」。経営陣やマネージャーでなく、プレイヤーとして仕事をする役職である以上、ある程度上司を「うまく使う」ことは必要だと思う。けれどいつも私は「わがまま」になってしまう。社会人4年目になった今も「わがまま」から抜け出せず、ターミナル駅で乗り換えるリクルートスーツの面々を見てため息をついていた。

2023年1月28日

新しい職場に就職してから2週間が経った。もしかしたら過眠症かもしれないと思うほど日中の眠気が強く、そのため夜は21時から22時に寝ている。定時であがれたとしても、夜はあまりにも慌ただしい。自分の楽しみのための時間をろくに取れないまま眠りにつき、すぐに朝が来る。

 

新しい職場は新鮮なことばかりだ。毎日英語でチャットやメールを送り、未知の業界のため知らない用語を大量に調べている。私がいる日本支社はあまりにも小規模で、前の職場で所属していた「課」の人数より少ない。日中は3人程度しかオフィスにいない中で、福利厚生のカプセルコーヒーを飲みながら過ごしている。

 

前の職場は毎日が嵐だった。あちこちで頻繁に鳴る電話をビーチフラッグのような勢いで取り、食事中だろうが上司に呼ばれたらすぐに立ち上がる。みんながみんな仕事に追われていて、デスクワーカーなのに水分補給やトイレに行くことすらできないこともあった。

 

人事の担当者に、「どうして私を採用したんですか?私はマーケターとしてのスキルが高いわけじゃないし、それにド文系でこの業界に全く縁がないのに」と聞いたら、「新しいことも臆せず勉強しようとするチャレンジ精神があると思って」と返ってきた。そのあとその人事担当者の過去のスケジュールを見たら、私の代わりに落とされたのであろうマーケティング志望の人の面接日程が組まれていた。その人は別の会社に就職したんだろうか。私はこの会社からしか内定をもらえていない。

 

業界については本当に知識が無く、英語でのコミュニケーションやイラレの操作を覚えることも必要だ。この2週間、どれだけ検索し、どれだけDeeplを頼ったことかわからない。脳がパンパンになるのを感じながら帰宅する毎日だ。けれど確かに、新しいことを学ぶのは楽しかった。

2023年1月13日

光熱費を節約するために、ジムで風呂に入ることを覚えた。髪が長いので、とりわけ高くつきやすい。運動のためにジムに入会したはずが、風呂に入るためにジムに行くようになってしまった。一応風呂に入る前に運動はしているが、さていつまで続くだろうか。

 

16日から新天地での就職が始まるため、平日最後のニートデーだった。ニート生活が終わってしまうことが本当に寂しいし、自分がこんなにもニート生活を満喫できるとは思わなかった。働いていないことを気に病むかと思ったが、今では堂々と「無職です!」と言える。

 

学生の頃はニートを蔑視していたが、働かない生活をしてみて、働いていない人間の存在価値がないわけではないとわかった。税金を納めていたらもう誰だって偉いと思う。いや、やっぱり子供部屋おじおばさんとして扶養に入っていたらちょっと嫌かもしれない。

 

新入社員の頃から10kg太り、履歴書にたくさん傷がついた。でも今はちょっとだけ心が軽い。きっと捨てたプライドの分だと思う。へらへらした私のままで、どこまで飛べるだろう。

2023年1月12日

新年初ストリップは、昨年同様ハラスメントから始まった。電車で隣に座った女性に話しかける男性はほとんどいないのに、ストリップ劇場で隣に座った女性に話しかける男性はかなり多い。

 

かつて私はうっかりオタサーの姫になってしまった時期があり、結局「オタサーを辞める」という手段を取ってなんとか解決したことがある。その時の経験から何となくひとつの理論を打ち出したのだが、オタサーの姫も『ストリップ劇場で話しかけられる存在』も、容姿がいいが故になれる存在ではない。どちらかというと容姿が良い女性はそういった存在にならない。考えてみてほしいが、北川景子菜々緒がいたら見惚れてしまって、話しかけるなんて到底無理だろう。

 

そういった存在は、「気弱そう(=口撃されなさそう)な女」であればぶっちゃけ誰でもなれるから、容姿の良し悪しで決まるわけではない。こういった経験があった、ということを自慢の意図で書いているわけではないのだ。だって誰でもなれるし、ナメられてるってことだから、普通に不名誉だし迷惑だし不快だ。ナンパされたという話をすると「自慢乙w」とリアクションをされるというケースは往々にしてあるが、そういうわけではない。

 

ここまでぶつくさと愚痴を言ってきたけど、私だって「うるせえよバ~~~カ!!!」とか「酔ったふりして接近しようとするなボケ!!!」とか言えばいいのだ。私は八方美人になりがちなきらいがあり、何とかしたいなとは常々思っているが、こういうところでも八方美人は発揮され本当に自分に辟易する。嫌いな人間には中指を立て、好きな人間には爆裂キッスを送るようにしたい。

 

いや私も私で悪いけど、やっぱりワンチャン男から先に滅されるべきだと思うわ。

2023年1月9日

自殺する夢を見て目が覚めた。実際よりもきつく母にいびられ、「もう死んだ方がいい」と首を吊ろうとしたところで、現実の自分のうなされ声がかすかに耳に入り、何とか脱することができた。ひどい夢だなと思った。

 

夢から醒めてしまえば今日は一日中楽しく、駅前で野菜が安く売りだされていてウキウキで買って帰った。通いはじめたジムでも前回より長い時間バイクを漕ぐことができたし、ジムのデカい風呂で羽を伸ばせて最高だった。我が家の風呂は、短足の私の半分程度の長さしかない。夕食の豚汁もおいしく、TVerで見た『はじめてのおつかい』では号泣し、ちょうどいい具合に眠気がやってきている。

 

四半世紀生きてきて今が一番幸せだと思う。それなのに、悪夢はほぼ毎日のように襲ってくる。実家にいた時から飲んでいるので、「ヤクルトを飲むと悪夢を見るようになる」の該当例ではなさそうなのだが、毎日毎日うなされたり叫んだりしている。実家や職場等の目の前にあった恐怖から何とか逃げ出しても、記憶がある限り恐怖は何度でも蘇ってくる。いい加減塗り替えられてほしいのに、一生こうなんだろうな、と思うとやってられなくなる。

 

前勤めていた職場のカウンセラーさんに、こんなことを言われたことがある。相談者は50代くらいの男性で、会社ではそれなりの地位についており、家庭を築いている。しかし未だに父親の束縛から逃げられず、二世帯住宅で暮らすことを強いられ、父親の機嫌を背く行動を取ると反省文を書かされるらしい。「それだけ大人になっても逃げられないってことは、完全に絶つってことは難しいんだろうね」とカウンセラーさんが言っていた。

 

明日もきっと悪夢を見て目覚め、おいしいご飯を食べ、よく笑いよくはしゃいで生きていくんだろうな。恐怖がずっとここにある。きっと死ぬまでついてまわる。

2023年1月7日

前回の記事がなぜか人の目に留まったようで、フォロワー以外の方からリアクションを頂き恐縮だなと思っていた。52ヘルツのくじらたちのことを書いたからだろうか。52ヘルツのくじらたち自体は非常に良い作品だったので、ぜひ読んでほしいと思う。

 

ここ3日間、午後になると強烈な頭痛が襲い、作業が手に着かない状態が続いている。目玉が飛び出し鼻水が垂れるような頭痛。痛み止めは効かず、ただ呆然と横になっていることしかできない。こんなんで社会人生活に戻ることができるのだろうか。

 

頭痛の隙を縫って、『むらさきのスカートの女』を読んだ。配信で推しが紹介していた本で、フォロワーもおすすめしてくれた。挑戦的な構成が面白く、ラストの数文がよく効いている。調べたら芥川賞受賞作とのことで、あ~~~(理解)となった。今年になって10冊程度は本を読むことができていて幸先が良い。今年は文章だけではなくもう少し広い範囲で知識をつけていきたい。

2023年1月4日

寝不足の脳が浮腫んでいるのを感じる。中高の部活同期と一軒家を借りて新年会をした。私含め10人のかしましい女たちが、喋るメンツをくるくると変えながら自由に話していた。疲れたら休むし、布教したい漫画があればその場で読ませあうし(私はエジプトBLのことを学んだ)、寝たければ自由に寝るし、おのおののタイミングで帰った。私も久しぶりの夜更かしだったので体調が不安で、早めにおいとました。帰りにストリップ始めをする予定だったけど、劇場でぶっ倒れたら迷惑なので延期することにした。

 

部活の同期たちの、自由な集団形成の仕方が好きだ。『気遣い』はあるけど『気を遣う』ことは少なく、気のおけない仲だなと私は思っている(相手もそうだといい)。気を遣いすぎて道化じみた振る舞いをすることなく、過去や現在に嘘をつくことなく、本当のことだけを陽気に話すことができる間柄がどれほど貴重か、この歳になると一層しみじみ感じる。

 

もう少し体調を整えてから電車に乗った方がいいと思い、クソデカ駅のガストでモーニングを摂り、『52ヘルツのくじらたち』 を読んだ。最近読んだ流行りの本の中ではいちばん中身が詰まっているように思えた。

 

実家を出てからの私の暮らしは、まるで繭の中にいるようだと思った。主人公は被虐待児で、私も家庭に難がある。苦しい環境から逃げ出すことができてようやく掴んだ日々は繭の中で守られているようだ。そういえば実家にいる時も、安心できる場所は布団の中くらいで、罵声が聞こえないよう耳を塞げるようにすっぽり顔を覆っていたことを思い出した。部活の同期たちも、今から帰る家も、存在そのものが私を守ってくれている。私は受けた優しさをきちんと返せているだろうか。食らうだけ食らって何も返せないのは嫌だと思った。